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ド底辺営業日記

コミュ障アラサー、おまけに喪女が営業職

物は言い様+大河最終回

テレビ

物は言いようといいますが、貧乏生活も「身の丈にあった」生活だとか言えば聞こえは良い。マシュマロも「ギモーブ」って言えばなんかおしゃれで、引きこもってマンガやら映画やら本を黙々と読む休日も文化的趣味に勤しんでいるとも表現出来る。

なので、ただの「卵かけ御飯」も、『山形県産 つや姫』+『名古屋コーチンの卵』に『日本橋大和屋 鰹節』をトッピングして『ヤマタマ だししょうゆ』をかけた、って言えばとっておき感がでる!!・・・と食事が適当な事を誤摩化している 笑

 

映画はずっと観たかった『ヴィンセントが教えてくれたこと』をやっと観た。原題が『St. VINCENT』で、あれとスペイン関係だっけか?とか思いながら冒頭シーン。

あらすじとかを上手く書ける頭は無いから省くけど、良い映画でした。

「清々しい」とは違うけども、人間は誰しも一人ではないし、どんな人にも何かがあるといった事を感じさせられる映画だ。

単純だからかボロボロ泣くので、一人で観て正解だった。

 

 

さて、今日は大河最終回。

悲壮感を何処まで出さずに終われるのか。

 第50回 『疾風』

「『左衛門佐』が居れば必ず勝てる」

すがる物の無くなった淀の脆さ。偉大な叔父、実の親、義理の親、戦国時代なら珍しくもないかもしれないが、それらの大事な人がことごとく目の前で居なくなってしまった経験から、人の生死に対して変わった向かい方しか出来ない女性という姿をこれまで見せていた淀。それは、繰り返された故、本当に思っている感情を表に出せなかった、という結果だったのだ。

なまじ良い血筋だったことから、素直に感情を出せなかったのかと思うとかわいそうにすら思える。

 

内記の予言

「日の本一の兵と言われる」

これは江戸時代に出来上がった、という説が主流だけど、確かにそれほど戦に遭遇してないにも関わらず今でも人気の武将として上がる幸村は、まさにこの通りだろう。

外国の人でも結構知ってるしなぁ。やっぱり一番は織田、武田だけど・・・。

日本人的にはどう思うか?とかたまに聞かれるから困る(←どうでもいい弊害)

 

そして毛利ー!!

この大河で要所要所でかっこいい所を見せてくれる。役柄的に大事なとこだけど、役者さんもねー、有名なイケメン使ってるから、なおの事かっこいい。

 

大助の思い

子供ですら最後と分かっているこの場面でも、大蔵卿は分からない。乳母が力を持つのは古今東西変わらない。

幸村がここで大助を秀頼の方へやったのは、疑いを晴らすためはもとより、一族同士の戦に加わらせたくなかった、死地へ連れて行きたくなかったからだろうなぁ。

その一族の正面衝突での三十郎の気持ちを考えると、観ていて泣きました。

「小物にかまうな!」

幸村のこの言葉は守るためだったのか、本当に時間が惜しかったのか。前者なのはほぼ確実だけど、幼い頃からずっと一緒だった従者が、最後は敵対して、そばに居られなかった無情。

幸村の情けはとても残酷だ。

息子も三十郎も、たとえ死ぬことになっても、一緒に居たかったに違いない。

 

僅かな差

秀頼の優柔不断、大野の判断ミス、敗戦するときって、こんななのよねぇ。

作兵衛の見せ場は、一瞬でしたがいい。武士ではなく野武士であったが、あの立ち回りは武士だよなぁ・・・

主君を逃がすために体をはるんだもの。武蔵坊弁慶以来、日本の忠臣には必須の行動よ。

 

勝てとは言っておらぬ、生き延びよ

息子に、幸村譲りの「望みを捨てなかった者にのみ、道は開ける」と語る母親の眼差しには序盤の脆さは無い。

30分を過ぎた辺りからの敗戦へ進む流れからきりの千姫への奮起、内記の最後、作兵衛の最後。制作費の関係上なのか、大戦って程人数が居ないので雰囲気は無いけど、刹那的な『死』、死はあっけなく来ると見せるような見せ方。鬼気迫る感じは十分ある。

...千姫はキタイハズレデシタネ。

伏線はありましたけど。

対峙

幸村と家康の直接対決がとうとうきた。

家康の言う事は正論で、幸村もそれを十二分に知っている。しかし、幸村は打たなくてはいけない。

どうすんのかなー、と思いきやここで、秀忠。源よ、最近これまで以上に話題沸騰中の源。美味しいですな。

最後の好機を逸した幸村は佐助を呼び、なんとか逃げていく。ここでも前の三十郎への(勝手な)感情移入を引きずって、彼も一緒に最後まで付いて行きたかっただろうに、とか思ってた。

まぁ、そんな事はどうでも良い。

逃げ延びた2人はどこぞの寺で最後を悟る。(寺、なーんか序盤、梅の時の寺みたいだなーとか思ったのね)

ここらへんから史実だと、死体を引きずり回されたそうだから、そんな場面は観たくないと思っていたから、かなり身構えた。そんな胸くそ悪い最後は観たくないもの。

 

結論、ラスト良かった・・・

関係した人の姿、妻や娘の無事の姿を映して、幸村の微笑みからのー、切腹の姿は見せないで場面転回。

策を封じられてしまった信之と本多の場面。兄へ、そっと渡される六文銭。ここで、ああ、佐助は生き延びたんだなーと分かる。大河として綺麗に、エグい部分が無く終わった。

そしてオープニングの曲がながれ、幕末の佐久間象山の話をして締める。

いいー!!佐久間象山、やっちゃいなさい!と、学生時代幕末期の授業をやったバカとして叫びたくなるの。...象山、本当、志半ば感は否めないけど。

何百年かかっても、真田ゆかりの人間が徳川を滅ぼすってことを暗示してる。

ドリフターズ』のお豊が『島津は何百年かかっても〜』って土方に語ったのを彷彿させる。(平野先生のあの台詞、上手いよね。素敵よね)

そんで、流れるオープニング。あの曲を最後に持ってくるのは前に一回やっているのでそれほど効果はないけれど、ここでそんな内容のナレーションを持ってくるのが、テンションあがる!!!

 

 

来年は、直虎だー。柴咲コウさんも好きだし、時代もまた面白い。

最近新しい発表とかがあって実は男だったとか言うけど、民間伝承を信じたいと思うから、そこはどうでもいい。だって、領主が男だったらわざわざ記録する必要ないじゃん。しかも女だっていう記録が公的っていうのも不可解。

特別性を出したかったのか?

でも女っていう特異さよりも、ネガティブな方が当時というか日本では今でも、強いんじゃないの?それとも、井伊の名前を名乗るために、娘の名前が必要だったのか?

わからん。

 

 


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