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ド底辺営業日記

コミュ障アラサー、おまけに喪女が営業職

娘業

こんばんは。職業は営業です。


あと、「娘」という仕事もしております。30をとうに過ぎておりますが、この仕事は辞められません。死ぬまで辞められません。


業務内容はいたってシンプルです。

両親の望む娘として生きていくことです。

学生の頃は真面目でいい点数をとり、良い友達を作り、委員長とかして、名前は有名な大学(偏差値は高くない)所へ進学します。

就職は東証一部上場とかしてる企業かそのグループ会社へ行き、そこで良い旦那様を見つけて格式のあるホテルとかで結婚式を挙げます。

そして孫を見せる。

それだけ。


とは言っても私の場合は就職でズッコケまして親の望むレールから外れたんですが、大学卒業まではそれはそれは頑張っておりました。

良い子でいようと思って、悪い事をしてもそれを見つからないようにしていましたし、迷惑をかけないように体調が悪いのも黙っていました。ゲロを吐きながら学校に通っておりましたし反抗期もないような子でした。


いや、中学入るくらいまではすぐ上の姉が親の自慢だったので自由だったからたまーに言われる事をやるってくらいだったんです。それが姉が反旗を翻してしまった為にこちらに矛先が向いた結果、親の理想コースを進む事になりました。

元来知恵が無いので、受験期には本気でノイローゼっぽくなり、ランナーズハイならぬ受験ハイを体感したりしました。勉強など大嫌いなのに予備校の模試の順位が上がったり成績優秀者に載るのを楽しむように変わりました。



これは自分のためでも親孝行でもありません。

きっかけは17歳の受験期に親に「少しは投資した分を返そうと思わないのか?」と言われた事です。子供を育てるのにそういった事を期待するのかと知り、その時に『あぁ、この人達に自分は雇われているんだな』という考えになったのです。

『良い娘でいれば見返りがあるのだ』

嫌な子供だと思いますが、そう頭の中で整理しました。

なので良い成績もお小遣いを貰うため、受験合格は家に居させて貰うために頑張りました。大学入学を気に家を出られれば良かったのですが、反旗を翻しつつも大学を休学して実家でフリーターをしていた姉によってそれは許されませんでした。

なので働き出して独り暮らしを始めるまで親の理想に沿う事でお給料を貰っている感覚でした。


今もその考えは変わりません。

家を出て随分経つのでお小遣いや生活費を貰ってはいませんが、良い企業に入れずに結婚も出来ていないのでせめて法要や家族の連絡や親の仕事の手伝いなどをするようにしています。

夫婦喧嘩や家族間の調整もしますし、家族が集まる時には仕事の時以上に、ひたすら話をし続けます。

だから親との関係は非常に円満ですし、それはそうする事で家族関係が平和になると高校生の頃に学んだ結果です。


いつまでそうしていれば良いのかわかりませんし、親も私に対して頼み事を断らない人と認識しています。

レールを外れなかったらこんな面倒はなかったのかと思うと、何故就職でもっと頑張れなかったのか悔やまれます。


おしまい



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